古くはアラビアンナイトで知られる『千夜一夜物語』
7年に及ぶ過酷な修行に身を捧げる比叡山の『千日回峰行』
松岡正剛氏が本という知の媒体と濃密に戯れるブックレビュー『千夜千冊』・・・など、
一個人の限界を超えるような長期的営みの持つ悠久さ、継続の凄みをあらわす言葉として「千夜」「千日」という表現があります
千夜・千日とはどのくらいでしょうか?
365日で除すると約2年8カ月。こう聞くとあまり大したことないような月日に感じます。
オリンピックもワールドカップもやってこない。
ただ、赤ちゃんが喋ったかと思えば部屋の中をせわしく走り回るようになったり、ピカピカの中学・高校1年生たちもそれぞれ新しいステージを目前に控え、最低賃金で1日8時間休みなく働くと803万2千円稼ぐことができるくらいの長さです(2024年6月時点全国平均1004円)
つまり千夜とは何気なく過ごしていればあっという間に過ぎ去っていくけども、生物的にも社会的にも大きな変化を内包できる長さがあり、意思を持って生きることができれば金字塔を立てることもできる、
そんな分水嶺的時間単位なのかもしれません。
千夜を歩み、足跡を残す
私は今年で40歳になります。
いわゆる不惑とは14600日を迎えたことであり、14.6回の千夜を過ごした計算です。
ふりかえってみると果たして何度「意志ある千夜」を過ごしたでしょうか。
何を積み重ねてきたでしょうか。そもそも私は何を積み重ねたかったのでしょうか。
最近の私はそれを忘れつつあります。(俗に言うミッドライフクライシスという奴?)
惰性で生きることもすっかり板についてしまいました。(それを叱る人もいなくなりました!)
改めて思う。私は何を積み重ねたかったっけ?
クリエイティブに仕事をし、新しい発想を社会を通じて実験し、それを拙いながら自分の言葉で世に伝えられるようになりたい(それに引き締まった身体!)
少なくとも開業前後の千夜は理想と共にありました。
白髪が増え、わき腹に取っ手を備え、ゲームで子どもに適わなくなった最近の千夜もそう悪いものではありません。しかしそうした日常にも少々飽きてきました。
ふり返った足跡を見て自らが誇らしくなるような
再び「意志ある千夜」を自分自身に贈ることができるだろうか
誰にも期待されないけれど誰にも邪魔されない
自分に向けた千夜の贈り物。今日がはじまりの一夜
ポエムはこのくらいにして手始めにやりたいことリストでも書き出すか