「人に誘われたから」という極めて主体性のない経緯で社会人学生として大学院に入ったのが二年前。
大卒ではなく専門卒という変わったルートで入学したので、大学生にとっては至極当たり前の大学システムに戸惑い、大学院とは勉強を教えてもらうところではなく学問(研究)するところなのか、と理解したのがつい最近だ。
しばらくは憧れのキャンパスライフとの乖離、学問に向いてるとは思えない性格、ノリで入ってしまった後悔(それと高っっっかい学費!)・・・で長らくイヤイヤ期を過ごしていた。
しかし人間ある程度は慣れてくるもので、一生懸命やれば楽しさもわかってくる。
なかでも大学院に入ってよかったのは
「わからない事を調べ、自分なりに編纂する」クセが芽生えたこと。(まだ完全にものにしていないが)
そしてそれを人目に晒し、教授たちからの愛情たっぷりのダメ出しを「普通のこと」として受け入れられるようになったこと。
完璧なものを温めるより、書いて出すヤツが偉い!というメンタリティにトランスフォームしたのだ。
このブログも拙い文章力とあやふやな知識で、いつしか黒歴史になるのは確実だ。
それでも書いて残すヤツが偉い!と自分をおだてて木に登ってみる。
最近、仏教に造詣の深い友人とお寺を巡っている。
知識がなくとも拝観というのは十分に楽しい。仏像の造形美、本殿の荘厳さ、社寺林の自然、お堂をくゆる香。。。極上のエンタメ(極楽浄土のエンタメ?)
とはいえやっぱり知識があった方が楽しいのは確か。アイドルの趣味なり特技なり知りたくなるあれだ。
目次
拝観時にもらうリーフレットには何が書いてあるのか?
お寺に限らず、博物館なり美術館なり何らかの施設で入場料と引き換えにちょっとしたリーフレットをもらうと思う。パラパラと目を通すが、実はそこまでじっくり読んでいないのが大半ではないだろうか。
特にお寺のリーフレットは寺社仏閣界隈特有の文体、固有名詞の難解さ、読み手の歴史に対するリテラシーなども相まって、すんなり読めるものではない。
・・・ならば大学院生らしく調べながら蝸牛の如くゆっくり読んでやろうではないか。
例えば今回拝観した正法寺は黄檗宗(おうばくしゅう)とあるが、そもそも黄檗宗について知らない。
黄檗宗がわからなければこのお寺のこと、他宗派との差異、類似性、関係性、時代性といった関連する色んな物事がわからない。
まさに取り付く島もない…知識のとっかかりとなる島がないのだ。
本当に大学院生らしくするなら一次資料にあたるべきだが、論文ではなく随筆なのでネットで調べられる範囲で進めてみる。
これでは研究ではなくコタツ記事だな。
黄檗宗 金鳳山正法寺(おうばくしゅう きんぽうざんしょうぼうじ)
リーフレットによれば正法寺は天和3年(1683)に大休禅師の命を受けた廣音和尚が金華山(329m)のふもとに草庵を結んだ、(修行のために小さな小屋を建てて住んだ)のが始まりとされる。
飛鳥・平安時代にルーツを持つ古刹もあるので、それらと比較すると正法寺は割と新しい。
禅宗のnewcomer(当時) 黄檗宗
そもそも黄檗宗は日本の三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗|禅宗:坐禅によって仏教をきわめんとするスタイル、詳しくは専門書を)のひとつで
・臨済宗:1195年、宋に留学した栄西が
・曹洞宗:1227年、同じく宋に留学した道元が
それぞれ日本に持ち帰って中国禅宗の教えを広めたのに対し、その約450年後に
・黄檗宗:1654年に明朝から来た隠元禅師によって開祖
とある。ローカライズされていない本場中国様式が最も色濃く残っているのが特徴のようだ。
全日本仏教会によれば、
隠元禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。
公益財団法人 全日本仏教会HPより
とあり、もともと中国臨済宗の高僧だった隠元を日本が口説き落とした、ということで、現代であれば海外有名大学の名物教授を研究室ごと日本に来ていただくようなイメージだろうか(最近は真逆のことが起こっていて悲しい限りだが)
既に日本で定着していた臨済宗とルーツを同じにする僧を招き入れ、幕府の“政策”でもって改宗するに至った経緯はとても興味深い。(学問のドアが開いている。)
そして正法寺は隠元開祖である萬福寺の末寺にあたる。
岐阜大仏:45年の歳月と4万巻の経典
大仏殿に入ると外の景色からは想像できない大きな岐阜大仏(岐阜県重要文化財)が迎えてくださる。
像高は13.36mと、奈良大仏こと盧舎那仏の14.98mより少しだけ小さい。
しかし東大寺に比して狭い堂内のため、
真下から見上げることになる我々と、うつむいてこちらを優しく見おろされている大仏様との距離的な近さもあって荘厳ながらも不思議な包容感がある。
リーフレットには第11代惟中和尚の時代、天和3年(1787)に度重なる災害による被災者の追善(死者の冥福を祈って行う仏事)を目的に岐阜大仏プロジェクトがはじまったと記されている。
しかし門徒が少なく各地への托鉢を重ねて、仏像に使用する経典と資金集めに奔走することに。(今でいうファンドレイジング。当時の人口は約2500万人)
・寛政 6年(1794)に頭部のみが完成
・文化 7年(1810)に大仏殿上棟式
・文化12年(1815)惟中和尚遷化(逝去)、12代肯宗が引継
・文政12年(1829)に大仏完成
・天保 3年(1832)に開眼供養(仏様の魂を迎え入れる)
とプロジェクト構想開始から実に45年の歳月を捧げた大事業である。
岐阜大仏は天然素材
構造は周囲1.8mの大イチョウを真柱とし、内部骨格は木材で組み、表層は竹材の編んで仏像の形を形成。その上に粘土で表層をなし、表面に一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等のお経が書かれた紙を当時の住職が読経したうえで一枚一枚重ね貼り、仕上げに漆と金箔によりお姿が現れる。
使用された経典は4万巻に上るという!
胎内には秘仏として藤原時代(900年頃)の木造薬師如来(岐阜県重要文化財)が安置されている。
岐阜大仏は奈良県・東大寺の奈良大仏、神奈川県・高徳院の鎌倉大仏とともに日本三大仏のひとつとされ(富山県・大佛寺の高岡大仏、兵庫県・能福寺の兵庫大仏とする諸説あり)他の大仏様が銅製なのに対し、木・竹・粘土・紙・漆による天然素材な一尊だ。
五百羅漢と撫で仏
大仏のまわりには江戸中期作の五百羅漢像がお堂の壁に沿うように取り囲んでいる。
羅漢というのは阿羅漢(あらかん)の略で、煩悩をすべて断滅し悟りに達した聖者とされ、
釈迦の直弟子16人の羅漢からなるユニット:十六羅漢や、2名を加えた十八羅漢といったユニットも信仰の対象となったようだ。五百羅漢は文字通り500人の羅漢から成る(AKBやEXILEの比ではない)
現存しているのはそのうちの百数体で、一人ひとり表情の違いを見るのも楽しい。
入口左手には羅漢であり「撫で仏」の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が安置され、患部に相当する部分を撫で、その手で患部をさすると病が治るとされる。
大仏殿は明朝建築と和様が融合したものらしく装飾されていない天井がかえって力強い。
また大仏の頭の高さから周囲を巡ることができる回廊(通常は使用不可)など特異な構造が見られるとのことで、さながらコンサートホールの二階席だ。
岐阜公園の近くにあり周囲を散策しても面白い。コメダ珈琲で一休みしてからお参りするのもいいだろう。
なかでも日本最古の昆虫館でありギフチョウで有名な名和昆虫博物館はおすすめだ。
けっして大きくはないが、美しく遊び心あふれる標本展示とノスタルジックな雰囲気が素晴らしい。
(昆虫すごいぜ!のギフチョウ放送回ではここで屋外会議をしていた)
我が子を虫好きに育てたい親さんは親子で展示を楽しんだあと、ホウセキゾウムシのアクリルキーホルダーを買って帰ろう。
正法寺
住所:岐阜県岐阜市大仏町8
営業時間 9:00~17:00 無休
拝観料:大人200円 小人 100円
駐車場:無料(数台分)