同じ日本でも地方と都会の生活様式の違いはよく話のネタになるが、駐車場代が家賃並にかかる都会では考えられないことのひとつが
「一家に一台ではなく一人一台車を持っている」だろうか。
私の住んでいる滋賀県北部もその例にもれず、日常の足はたいてい車。
都会は場所に高いお金を払っているとすれば、
田舎は移動に課税されていると言っても過言ではない。
なのでよく知っているはずの場所でも
「車以外の交通手段」で来る場合、そこにどんな導線や不便があるのかはほぼ無知だったりする。
私にとって余呉湖はまさにそんな場所。
なので今回は「もし電車で余呉観光に来たら」を学ぶ。
地域おこしではしばしば目玉となるスポットだけテコ入れや情報発信がなされたりするが、ツーリストがどういった手段とルートで現地に赴くのかまでは考慮されていないケースがチラホラ存在する。
駐車場は十分か、トイレはあるか、二次交通手段はあるのか、周囲に何があるか、オムツはどこかで交換できるか、授乳できる場所はあるか、サインは正しく適切か、それらの情報は分かりやすく表示・発信されているか…
DMO(Destination Management Organization)の存在理由からわかるように、観光は点でなく面で、導線まで含めて考えることが大切だとされている。
しかし、車だとドアツードアなので他の交通手段で来る目線は地元民にはなかなか体感できない。
帰るまでが遠足だとすれば、着くまでも観光というところか(なんだそりゃ)
今回は余呉地域の代表的な観光資源、日本のウユニ湖とも称される余呉湖に電車で向かう。
JR河毛駅に車をおいて〈新快速 姫路発-近江塩津行〉で余呉駅に。片道240円で11分
ちなみに河毛駅-木之本駅-余呉駅は駐車場は無料。これも都会ではシンジラレナイ。
(通勤時間外は一時間に一本なので時刻表は要確認)
ふだんは車で見る景色も今日は11分の車窓。
余呉駅は新快速が停まるので姫路や神戸、大阪、京都から乗り換えなしで来れるのは大きなメリットだと思う。
この季節にしては珍しい陽気の中 JR余呉駅に到着
ホームからの美しい眺望がもてなしてくれる
目の前に広がる余呉湖と田園、そして周囲を取り囲む山々
フェンスなど視界を遮るものがないのも手伝って、自然が近いというより
駅が景色に包まれてるような不思議な感覚がある。
「ホームの目の前が湖…まるで新海誠の作品に出てきそうだ」
この景観とコーヒーのペアリングはさぞかし素敵だろうな…
スマホ、近江塩津へ旅立つ
頭の中でそんな事を呟きつつ、この眺めを記録しようとポケットに手を伸ばした時、
いつもより寂しい右ポケットの感覚がそれなりの確かさを持った嫌な予感に変わっていく。
・・・・スマホが、ない?
いや、まだ本腰入れて探したわけじゃない。
落ち着け。
空港セキュリティのボディチェックよろしく体中のポケットを押さえる。
普段入れることのないリュックを弄ってみる。
いや・・・ない。
そうだ、先日買ったスマートウォッチだ。
ースマホを探すー、っと
〈接続されていません〉
ワオ。
そうです。我がスマホは主を残して近江塩津へひとり旅。
次発は、、、嗚呼無情の40分後。
近江塩津駅へ電話だ、、、あかん、スマホないやん。
えーと、PCはあるからテザリングで、、、いやいや、スマホないんやった。
落ち着け。
そこらを意味もなく右往左往した後、余呉駅の事務所に泣きつき近江塩津駅へ連絡。
車掌さんに託されたスマホは折り返し余呉駅に帰ってくることに。
その間、このヤラカシにお付合い頂くことになった係員さんとお話する。
「長浜市地域コーディネーターの新村です。これからしばし余呉地域を担当いたしますのでよろしくお願いします。ところでスマホを先の電車に忘れてきました」
こんな恥ずかしいファーストコンタクトありますか?
道によって生まれるもの、失われるもの
余呉駅の事務所はJR職員ではなく、委託を受けた長浜市観光協会の職員さんによって運営管理されている。この日お世話になったKさんは余呉の方で、待ってる間余呉のことを色々教えて頂いた。
昔は敦賀方面に抜けるには柳ケ瀬を通るルートが主要道で、宿場町として賑わいを見せていたこと。
(この道は明治天皇巡幸の際も使われたそうで、明治天皇が腰を落ち着けた場所に石碑があるらしい)
倉坂峠玄蕃尾城
この道は倉坂峠(刀根峠)を経て敦賀市に出る古くからの歴史を秘めた道です。
古代には大陸文化を携えた渡来人の越えた道であり、また戦国時代末期には、織田信長軍に追いつめられた朝倉義影の大群が壊滅した道でもあります。
天正11年(1583)の賤ケ岳合戦には柴田勝家が此の附近に陣を構えた古戦場で、峠より右に登ると内中尾山の山頂に達します。ここには余呉町と敦賀市の教育委員会が史蹟に指定している勝家の本陣「玄蕃尾城」跡が当時の姿を今にとどめています。峠より左尾根を登ると標高659メートルの行市山頂に達し、ここには勇将佐久間盛政の砦跡が残っています。
また明治初年には明治天皇ご巡幸のためお通りになるなど、鉄道が開通するまでは畿内と敦賀を結ぶ主要道であったのです。
余呉町教育委員会
その後、1882年(明治15年)に鉄道が開通し、駅ができた中之郷に余呉の中心地が移ったこと。
その鉄道も1964年(昭和39年)に廃線になり、主要な交通手段が自動車にシフトしていくにつれ、余呉は来訪者にとってのハブではなく“通り道”へとその役割を変容させていったこと。
3つあった小学校が今では1つになったこと。
この10年で人口が1000人減少したこと。
そして相変わらず景観は美しいこと。
話を聞いていると不意にディスニーピクサーのカーズの舞台である
ラジエータースプリングスのワンシーンが頭に浮かぶ。
道は時々、歴史と文化と物語を生むが、新しい道によって失われていったものもあるのだ。
近江塩津へのひとり旅を終えたスマホは善意のリレーによって無事手元に。
JRの皆様、長浜観光協会のKさん、この度は非常にお世話になりました。
年明けに改めてお礼に参ります。
皆さんも電車から降りる時はスマホ忘れませんよう。
特に考え事しながら降車するのはお勧めしない。
余呉湖までは600mほどで歩いて8分の距離
駅からのびる一本道を通って右に曲がると余呉湖はすぐそこだ。